理論物理学の分野は、一般人にはとても理解が出来ませんが、ノーベル賞を受賞した研究というのは、素晴らしいのものなのでしょうね。
そんなノーベル物理学賞に4回も深く関与している会社が、浜松ホトニクスです。
浜松ホトニクスが4つのノーベル物理学賞に貢献
そのノーベル賞とは次の4つです。
この中の3つは、浜松ホトニクスがなければ受賞はあり得なかったとまで称賛されているのです。
2002年 小柴昌俊さんのニュートリノ観測
2008年 小林誠さんのクォーク
2013年 ピーター・ヒッグスさんのヒッグス粒子
2015年 梶田隆章さんのニュートリノ振動
浜松ホトニクスの光電子増倍管
1953年創業の浜松ホトニクス株式会社は1953年創業で現在66年目の企業です。
微弱な光として蛍の光がありますが、それよりも遥かに弱々しい非常に微弱な光を検知して、電気信号に変換する光センサーが「光電子増倍管」です。
浜松ホトニクスは、この製品で世界で9割のシェアを誇ります。
9割と言うよりも、高性能の光電子増倍管は浜松ホトニクスにしか作れないと言って良いと思います。
小柴教授からの要請
ニュートリノがどんな物質かは、超簡単に言うと物質を構成する最小単位である素粒子の一種です。
宇宙空間から飛んできて、どんな物をも透過する性質があります。
宇宙から飛んでくるニュートリノを観測する設備がカミオカンデなのです。
カミオカンデの技術的なポイントは、極めて微弱な光を感知して電気信号に変換することです。
この変換任務を担当するのが、光電子増倍管なのです。
カミオカンデの建設にあたり、浜松ホトニクスに依頼が来た当初、同社は8インチ径の試作を始めたばかりで、小柴教授の要求する25インチ径はケタ違いの注文ではありましたが、この要求を見事クリアし、1983年にカミオカンデは完成しました。
カミオカンデに続くスーパーカミオカンデにも、大きく貢献したのです。
そして、小柴教授や梶田教授の観測を支えてきたのです。
浜松ホトニクスの技術力がなければ、お二人のノーベル賞はなかったと言われています。
ヒッグス粒子の発見に大きな貢献
ヒッグス粒子の研究を精力的に続けてきたのが、欧州合同原子核研究機構(CERN)です。
CERNでは、大型ハドロン衝突型加速器(LHC)を用いて、 ヒッグス粒子の発見が最重要課題のひとつとして期待されていました。
LHCでは、4つの実験装置が建設され、2008年9月10日からATLASとCMSが実験を開始しました。
CERNに納入した製品の売上高(単体) は、 約31億円でした。
大型ハドロン衝突型加速器(LHC)に採用された光半導体素子のほぼ100%が浜松ホトニクスの製品だったのです。
浜松ホトニクスの優れた技術力に対して、CERNから度々表彰されています。
中でも突筆すべきは、正面玄関のプラークです。
2008年10月、CERNで行われたセレモニーで、「 実験装置から飛散する粒子を検出する素子の開発で貢献した企業」としてCERN事務局長ロベール・エルマール氏より謝辞と共にプラークが、CERN研究棟の 正面玄関に唯一飾られました。
プラークと言うのは歯垢ではなく、記念の銘板のことです(笑)。
そのプラークにはこんな風に刻まれています。
European Organization for Nuclear Research
This plaque is dedicated to
Hamamatsu
in recognition of its outstanding achievements in the construction of the LHC Detectors ATLAS and CMS
CERN, 20 October 2008
その意味はこんなことです。 欧州原子力研究機構
このプラークは『浜松ホトニクス』に捧げます
LHC検出器ATLASとCMSの構築におけるその卓越した業績を評価して
CERN、2008年10月20日
小柴先生の回顧録動画
18分00秒辺りから光電子増倍管を利用したシンチレーションカウンターの説明があります。
27分20秒辺りから浜松ホトニクスとの交渉の記憶が語られています。
当初1本30万円とした浜松ホトニクスの光電子増倍管の値段を13万円に値切ったと。
スーパーカミオカンデ
岐阜県飛騨市にある素粒子観測装置、スーパーカミオカンデ。ここでは浜松ホトニクスの光電子増倍管が約1万2000本使用されている
出展:日経BPネット
浜松ホトニクスの製品群
カミオカンデのほか、小惑星探査機「はやぶさ」、すばる望遠鏡、医療など、光関連で高い技術力を持つ同社の製品・技術は幅広い分野で活用されている 出展:日経BPネット