寺田倉庫の創業者から請われた中野善壽社長が大リストラ

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寺田倉庫の創業者から請われた中野善壽社長が大リストラ

東京都品川区の臨海地帯に、東京モノレールと東京臨海高速鉄道りんかい線の天王洲アイル駅があり、駅から歩いて数分ほどのところに寺田倉庫の本社があります。

一般にはあまり馴染みのない会社ですが、一部の業界ではとても有名な会社なのです。

倉庫として得意な品目は、超高額美術品超高級ワインなどを厳重に保管管理すること。

ファッション通販サイトZOZOTOWNの前澤社長が、バスキアの作品を123億円で落札して、その作品を寺田倉庫に預けているらしいとの噂です。

他にも、数十億円クラスの美術品や、数百万円クラスの超高級ワインが保管されているようで、アート業界の人なら寺田倉庫を知らなければモグリです。

当然、管理料は一般の荷物より遥かに高額で、坪単価で言うとざっと5倍は稼いでるらしいですよ。

大リストラの実態とは

この会社は、7年前に社長が代わった途端に、1000人いた社員を100人に減らしました。

100人減らしたんじゃないですよ、900人減らして100人規模の会社に、つまり10分の1に縮小したのです。

当然、売上も激減で、700億円から100億円に減りました。
しかし、利益率は改善され、活気が出て将来性が期待される、まるでベンチャー企業に生まれ変わりました。

寺田倉庫が変貌を遂げたのは、70年近い歴史がある中で、わずか7年前のことです。

どうしてこんな劇的な変化が起こったかと言いうと、相当な変わり者の社長の仕業なのです。

寺田倉庫創業者の悩み

寺田倉庫は、1950年(昭和25年)設立ですから、もうすぐ70年になろうかという歴史があります。 

本社がある天王洲地区は運河沿いにあり、当時、海運の拠点として流通倉庫が立ち、寺田倉庫は食糧庁の指定倉庫として米の保管事業に携わっていました。

創業者である父親から引き継いだ、当時の会長の寺田保信さんには息子がいます。

長男がビットアイル創業者の寺田航平さん(1970年生)、次男が外食ヒットメーカーの寺田心平さん(1972年生)です。

寺田保信さんが親から引き継いだ会社は、従業員1000人で売上が700億円と、そこそこの規模の会社ですが、事業内容は固定化しており将来展望が開けず、社内の活気もありません。

倉庫の場所を貸し出して、僅かな手数料をいただくだけ。

寺田保信会長は、息子に代替わりする前に、この固定化された概念から脱却して将来性のある活力ある会社に作り変えたいと考えていました。

型破りの新社長は中野善壽さんの手法

そんな寺田会長が目をつけたのが中野善壽さん(昭和19年生)です。
『壽』は『寿』の旧字体で、善壽は『よしひさ』と読みます。

2011年に社長にが社長に就任した中野善壽さんは、とにかく変わり者の経営者のようです。

中野社長が就任後に最初にやったことと言えば、1000人いた社員を100人に減らし、年間700億円の売上を100億円に減らしたことです。

それだけを聞けば、『何をやっとるのか、アホか』と怒鳴るところでしょうが、中野社長の狙いは、経営効率の改善と将来性の展望でした。

主力事業であっても、価格競争に陥りそうなものは全て売却し、魅力がないと判断した不動産も手放しました。

その結果、売り上げは700億円から100億円へと7分の1に激減しましたが、キャッシュフローは8倍になり、小型ながら勢いある企業に生まれ変わったのです。

新社長のリストラの狙いとは

歴史のある倉庫業ですが、コメ貯蔵庫の延長で作り上げたこれまでの倉庫業には将来がない。

固定された顧客が荷物を預けてくれるのを待つだけだし、保管期間が短く収益率も低い。
こちらから積極的に顧客を増やすような営業体質ではない。

これを変えるには、反対の営業方法を考えれば良い。
つまり、収益率が高い倉庫業とは何か?
新規顧客を開発する倉庫業とは何か?

そこで中野善壽さんが着目したのが、超高級アートの保管だったのです。
中野さんの経歴ではアートに関わりがあり、高額美術品の保管には適切は環境保全が必要であることを知っていました。

何億円もする超高額美術品は、温度や湿度を適切に管理しておかないと、劣化して変色したり反りが出たり、最悪の場合はカビが生えたりして、価値が台無しになってしまいます。

そのため、物置の片隅に放置するような管理は許されません。
保管のプロとして、厳密な環境管理をして何十年も何百年も継続して預かることを、新規事業としました。

保管費用は当然高額になるし、保管期間も長いのが普通です。
これを『千年倉庫』といいます。

中野善壽さんの知人にはアート関係の人が多く、その人脈は日本だけとは限りません。

世界のアート市場は6.7兆円。日本のシェアはわずか4%未満です。
国際的に見たときに、治安が良くて保管技術の信頼性が高い日本に預けておくという選択は、外国のアートコレクターにとっても、選択肢になると考えたのです。

世界のマーケットの0.1%でも、事業採算性には大きな数字でです。

一見無謀にも思える計画ですが、中野社長には、勝算がありました。
中野善壽さんの『千年倉庫』の計画は、7年間で順調に成長しています。

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中野善壽さんは超がつくミニマリスト

思い切った改革をした中野さんですが、どんな人なのでしょうか。

中野善壽さんの経歴

1944年(昭和19年)生まれ、74歳

千葉商科大学卒

卒業後、伊勢丹に入社

5年後に鈴屋に転職して海外事業に携わり専務まで出世

1997年台湾の『力覇集団』にスカウトされて百貨店事業で手腕発揮

2011年当時の寺田社長に請われて寺田倉庫に入社
ただし、台湾在住のまま、週2回帰国して出社するという変則社長業

中野善壽さんのミニマリスト生活

中野さんは極力財産を持たないミニマリストの生活をしています。

台湾ではホテル住まいだし、週2日の日本でも当然ホテルです。

稼いだカネは全部寄付してしまうし、家も車も持ちません。

アート普及に夢をのせて、倉庫街のイメージだった天王洲アイルの街並みをアートの街に替えてしまったのは、中野さんの熱意のおかげだと言われています。

ある芸術家の作品が気に入り、いくらで売ってくれるかと聞いたあとで、その10倍の価格で買い取ったという逸話があります。

中野さんの話しによれば、作品を誰にいくらで売ったのかが、その芸術家を育てる材料になるのだと。
中野さんが、その芸術家を育てようという気持ちが現れているし、そこにはカネを惜しまないという逸話ですね。

テレビ東京の『カンブリア宮殿』の予告動画があったので、ここに掲示しておきます。

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寺田倉庫リストラ後の現在の姿は

5年で会社を辞めろという中野善壽社長

リストラ後の寺田倉庫の社員数は約100人です。

1000人の会社から、事業を売却したり、分社化などして本社は一気に10分の1にスリム化しました。

その結果、意思決定は速くなり、社内は活発になりました。

5年で辞めてくれというのが中野善壽社長の口癖なのです。

その真意は、人間が一つの事業に真剣に取り組めるのは5年くらいで、それまでに結果が出なければ惰性になってしまう。

5年で結果を出すように頑張って欲しい。
5年で結果が出れば、そのスキルを身に着けて独立するなりもっと条件の良い会社に転職するなり、自分の生き方が見えてくる。

5年で結果を出そうとすると、自ずから仕事のスピードは速くなると。

実際に社員の平均年齢は36歳で、勤続3年未満の社員が60%と半分以上を占め、会社を設立したばかりのベンチャー企業のような数字です。

会社の規模は100億くらいがちょうどいい

700億円の会社をリストラして100億円の規模に縮小してしまった中野善壽さんですが、無駄に捨てたわけではなく、売却するとか分社化するとかして、本社に集約していた資源を適正に分散しただけのことです。

中野善壽さんの考えでは、会社として活性化しつつ機能を維持するには100億円程度がちょうどいいそうです。

逆に100億円を維持する努力を惜しんではいけない。

100億円を大きく超えるほどに成長した事業は売却するという。

会社をできるだけ大きくしたいと願う経営者が多い中で、不思議な感覚を持った経営者ですね、中野善壽さんは。

最新の事業は個人相手のminikura

最近では、個人をターゲットにしたminikura(語源は『ミニ倉』かな?)という、個人ターゲットのサービスを始めました。

一箱(20kg以内)200円/月からという格安料金で預かり、希望があれば写真撮影をして、ヤフオクなどへの出品に対応するという、特徴ある面白い事業です。

これからの寺田倉庫の事業展開から目が離せませんね。

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